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2016年10月28日金曜日

『まだ若いんだから』という言葉に、危機感を持ってみる






こんにちは。

今回は、よく会話の中で聞かれる
まだ若いんだからという言葉に
焦点を当ててみたいと思います。
(イヤミかどうかを考える内容ではありません)


言葉を受け取った時、何を感じるか
私は現在、30代前半です。
この言葉を聞くようになったのは、
(意識するようになったのは)
20代の仲間入りをした頃でしょうか。
『まだまだこれからじゃない』
『若いんだから頑張り時だよ』
最近までは
『あぁ、自分はまだまだイケるんだ』
嬉しい、もしくは安心感を覚える言葉でした。

ある時、マインドフルネス(瞑想)の中で
左手をじっくりと
初めてみたように細部まで眺め
何を感じるか試しましょう
というものがありました。
指が長く肌がきれいと
不意によく褒められるので、
けっこう自信があったのですが
改めて見てみると…
蚊に刺された跡が残っていたり
ちょっとした傷が跡になっていたり
何よりびっくりしたのが
手のシワが深くなったのを実感したことです。
ひどい怪我などない限り
まじまじと手のひらを見ませんよね?
30代に入りじっくりと眺め
自分だって、歳をとっている
その事実を突きつけられたようで
ショックでした。


改めて、『若い』というセリフに着目する
そこでふと浮かんだのが、
少し年上の方から言われる若いというセリフ。
確かに、人生から見れば
まだ動ける年齢です。
しかし、実感はないものの
できないことも増えてくるはずですよね。
それを感じるのは、もう少し先
そしてその時にはすでに遅いのだと思いました。
同い年、もしくは少し年配の方
ぜひ今できることを
存分にやっていただきたいです。
たぶん、やりたいと感じた時には
すでに体がついてこないです。


まとめ
なんだかんだで、もしかしたら
心より先に体が先に老いるのかもしれません。
人それぞれ違いはあると思います。
とくに女性は顔の手入れなどで
男性より感じやすいかもしれないです。
ただ、全身の変化にも
目を配ってみてください。
『やりたいけど時間がない』
これは誰もが直面すること、
ぜひ諦めずに有意義な時間を
普段の生活からひねり出してみてください。




2016年3月1日火曜日

『私には向いていない』という言葉に、異議あり!





ふとした一言ですが、
掘り下げると色々思うところがあり
この言葉をテーマに1記事にしてみようと
思いました。


〝向いていない〟という状況とは?

向いていないとは、
自分にはあってない
自分は出来ない
という個人的な思い込みだと
私は思っています。

使う場面で多いのは、
新しいことを始めるときや
続けてみたものの結果が出なかった時
心がくじけてしまうんですね。
『やってはみたものの
上手くいかない、向いていなかったんだ』
『これだけやっても成果が出なかった、
向いてないな』
と、物事の過程において
諦めるきっかけとなる言葉です。


物事を継続する困難の先には

例えば、ピアノの稽古に例えてみましょう。
長いこと続けてみる、しかし
思うような演奏ができずに煮詰まってしまう。
そんな状況は、どの事柄にでも当てはまります。
ピアノ奏者は世の中に山ほどいて、
上を見れば
たくさんのピアニストがいることでしょう。
では、もしその頂点近くに位置するプロ奏者は
そのポストに
満足して演奏しているのでしょうか?
私は違うと思います。
上手になったところで、その人にとっては
まだ通過点なのです。
もっとピアノを知りたい、
そう思っているはずです。
結局、ゴールなんてものは設定されていないし
突き詰めればいくらでも先があるものです。

では、諦めとはなんでしょうか?
向いていない
この言葉がものがたるように、
自分自身で諦めるよう
言い聞かせているようなものです。
長く終わりのない道の歩みを
自分で止めてしまうことです。


〝向いていない〟は、言葉の通り

言葉はそれぞれ、必ず
作って広めた人がいるはずです。
今ではマイナスの言葉として使われますが
なぜ『向いていない』と、
方向を示す言葉を使ったのでしょうか?

ここからは、完全に私の憶測で
歴史の文献に目を通したものではないことを
ご理解ください。
思うに、『自分に合っていない』
という意味で使うのであれば
もっと直接的なふさわしい表現がいくらでもあります。
〝向いていない〟には
もっと深い意味が
込められているのではないでしょうか?

まず、いったいなにどこを向いていないのか
気になりませんか?
おそらく、
自分の気持ちが
物事へ向いていないのではないでしょうか?
この言葉の真意は、
『向いていないと感じたら
軌道修正してきちんと向き合いなさい』
そういう意味があるように感じています。


この言葉を作った主はきっと
そこで終わってしまうよりも、
歩き続けることが大切ということを
〝向く〟という表現で伝えたかったのではないでしょうか?


自分の経験から

私は、今の職場で
本気で3度ほど、やめようかと思いました。
その度に、自分と相談し踏みとどまったんです。
踏みとどまるたびに、何故か道が開けました。
〝継続こそ力なり〟
向いていないと感じたら、いま一度
その物事に向き直ってみてください。

2016年1月12日火曜日

昨日の鬱を振り返って…





今日は、鬱症状少なく朝を迎えました。
たぶん、家族が気にかけてくれている
それに気付くのが、一番の薬のようです。
なぜ身を削ってまで頑張るのか
それを見失いかけると、鬱症状が現れるような
そんな気もしています。


昨日を振り返り、ある事にゾッとしました。
以前の私は、あの状態が連続して続いていたわけで。
いまでも世の中の鬱患者は、毎日あんな思いをして
それでも毎日を生き抜いているんですね。
もしかしたら、
とても強い心を持ち合わせているんじゃないか
そんな事を思いました。

それに、身近な人が鬱を患っているなら
ぜひ手を差し伸べてあげて欲しい。
本人の希望と関係なくね。
どうしても鬱だと
自分以外を信用しづらいですから
おせっかいこそが
心の氷を溶かすのかもしれません。

2016年1月11日月曜日

仕事に追われ、久々の逃避衝動。鬱ってホント怖い





注意!
今回は、私の鬱の日記です。
がっかりしないでくださいね。


ここ2日くらい一気に仕事を振られたためか、
朝は最悪の目覚め。
怒る上司の悪夢を見てしまい
アラームで強制的に目覚めました。
すでに激しい動悸と、強い不安感。
出勤で家を出たのは朝の5時、それでも
職場が遠いため、乗り換えの時間ロスで遅刻ギリギリ…。
ハンパない鬱状態と遅刻の恐怖に、休む口実ばかり考え
勤務先に連絡する寸前でした。
そんな瞬間
『そうだ、今日は自分がいないといけない会議がある』
くしくも、仕事がそれをとめてくれました。
その後の職場までは、きっと廃人のよう
ある意味、諦めざるおえない状況が
心を落ち着けたのでしょうか。
ブログで書いてきた事は、いったい何だったのか…。
やっぱり鬱のひどい時は、なんとも無力なものだと
そう思いました。

そうして職場に着くと、遅刻は免れ一安心。
休憩までは脳も機能停止状態で、感覚のみで働きました。
休憩ではひたすら、
ヒーリングミュージックを聴いて寝ました。

目がさめると、頭痛を残し
鬱は和らいでいましたね。
以前に日内変動の記事を書いたのを思い出し
『皮肉なもんだ、実際は手も足も出ん…』
と、なんだか虚しくなってしまった
今日この頃でした。
結局は残業含め7時から21時まで仕事、
それでも12時の休憩からはそれなり頑張れました。

鬱の怖さを、改めて実感しました。




2015年12月26日土曜日

CMや広告にも、強迫性があるって知ってますか?






強迫性障害につて以前記事を書きました、
今回は身近に潜む強迫性に焦点を当てていきます。

日常生活で、
CMや広告を目にしない日はありますか?
宣伝というのは、社会に触れる行動をとれば
必ず情報として入ってきます。
家から出なかったとしても、
テレビやインターネットなどの媒介から
必ず情報を目にすると思います。
社会性に重みをおく人間にとって、
宣伝はとても身近な存在です。


CMや広告といった宣伝は、噓偽りが無いよう
厳しくチェックされています。
表現方法についても、適切でなければ
私たちの目には届きません。
しかしそんな厳選された宣伝の中にも
強迫性の強いものが多くあるのをご存知でしょうか?


強迫性の強いCMや広告とは

出回っている宣伝には2種類の手法があります、
それはポジティブCMネガティブCMです。
専門的な括りではないようですが、
ポジティブなCMとは
ストーリー性や動物などの癒し効果に惹かれたり
純粋に製品を気にいり記憶に残る内容のもの。

ネガティヴCMとは
製品を紹介するため、その効果を
Before and Afterで比較したり
あえて製品を使う前の状態を
大袈裟に表現しているものです。


ではネガティブCMや広告の影響とは?

こんなCM見たことありませんか?

例1シャンプー
『毛穴には古い脂がギッシリ(頭皮のアップ映像)
この製品でスッキリ落とせます』


例2ハンドクリーム
『一般のハンドクリームは化学成分が多いのに対し
我が社製品は自然由来成分のみ使用しています』

例3肩コリ等の錠剤薬
『身体中が凝っているあなた(体が石になる表現)
この薬で解消します(石が砕ける表現)』

例4家庭日用品
『あなたはまだそのやり方?
菌がまだこんなに!』


その製品が身体に直接
もしくは間接的に関係する商品に多いように感じます。
その方が危機感を覚え、
効果的ではあるかもしれません。
しかし、CMを見る側からすると
場合によっては大きなストレスとなり得ます。

もし見る側の人が強迫性障害、もしくは
特定の情報に対し敏感だった場合
(コンプレックスを持っているなど)
精神的なダメージとなり得ます。
きっと衝動的にその商品を欲するでしょう
しかし実際はどうでしょうか?


実際の経験でこんなことがありました
知人の20代女性Aさんは、
日頃から手荒れに悩んでいました。
そんなある日、市販で使っているクリームは
症状を悪化させるという広告を見て
その広告に載っていた無添加の製品を使い始めたのです。
私はその話を聞き、
以前のクリームと新しく使いはじめたクリームの
成分表を見比べてみました。
確かに専門的な用語がほとんどありませんが、
オリーブ・ココナッツ・ハチミツなど
『これは肌に塗って良いのか?』
といった名前がずらりと並んでいます。
『こんなの塗るなら、
ワセリンでも塗ってた方がマシかもよ?』
とその場は話終わりました。
後日きちんと皮膚科で診てもらい、
その商品も見せたそうです。
先生に『ずいぶん余計なものが入っている、
これなら塗らない方がマシ』
と言われたそうです。


まとめ

よく放送禁止になるCMがあります。
それだけ、宣伝を発信するにあたり
倫理的・社会的にギリギリのラインで
宣伝活動を行っている事が伺えます。
販売側は、どうしたって
他の製品より優れていることを
アピールしなければいけません。
そのため私たち消費者は、それが真実なのか
または必要なのかを考え行動する必要があります。
上記にあげたCMや広告が悪だとは思いません、が
誤った価値観や
過度な価値観を加速させる要因になり得るのは確かです。
商品を選ばされずに、自分で選ぶ心掛けが大切ですね。



2015年12月3日木曜日

お天気お姉さんの涙、について読み解く



社内イジメを考える

さて、本日のニュースで
NHK山形の天気予報士が生放送で涙とありました。
社内イジメがあったという報道でしたね。

予報士についての賛否については
他の方にお任せして、
今回の件を、世論の外側から
読み解いてみましょう。

まず、予報士の女性は良くも悪くも
涙する場面を不特定多数に目撃されました。
結果だけを見ていくと、予報士は今回の件で
本当の気持ちや置かれていた状況を
職場外に知らせることができました。
これは彼女にとって、少なからず
事実を打ち明ける機会になったはずです。

では、今回の事例を
他の職業に置き換えてみましょう。
とくに外との接触の少ない仕事中だったら…

思い浮かべただけでもゾッとします。
私は、おそらく周囲には恵まれて
働いてきたのでしょう。
こういった話を聞くと、責任感とはいえ
痛みに耐え仕事を続ける人というのは、
本当に強いと思います。
同時に、そういった職場環境があることは
本当に残念でなりません。

今回のニュースで私が感じたのは
職場や教室という閉鎖された空間で
何か問題が起きた場合は
閉鎖が解かれた後(退勤後、下校後)に
冷静に出来事をふり返り、家族や友人に
相談しましょう。
すぐに相談できない場合は、
カンタンなメモをとり
必ず誰かに打ち明けましょう。




2015年12月2日水曜日

神様っているの?について




藁にもすがる思いとはよくいったものです。
神様も、藁の一つではないかと
私は思います。

漠然とした出だしで始めてしまいましたが、
今回のテーマは
『神様って、実際みんな信じてる?』です。

私の神様に対する観念

ちなみに私は、信じていません。
言い切ってしまうと語弊がありますが
宗教的な崇拝という部分では、
信じていないことになります。

ただ宗教それぞれの成り立ちや
過去から現在まで
たくさんの想いが込められたであろう
神、悪魔などの存在には
非常に興味をそそられます。

興味が強いのに信じない理由はカンタン
排他的な考え方が嫌いなんです、
異宗教を邪教とする考え方ですね。
それぞれ為になる教えであるのに、
残念でなりません。
(一部の宗教では、
排他のないものもあります)

わかりやすく一例あげると、
古代エジプトのスフィンクスは
神と王の守り神であり
とんでもなく神聖な神様でしたが
ギリシア神話ではスピンクスとして登場
あの有名な
『朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足』
というナゾナゾを出し、間違えると
食べてしまうという怪物に
されてしまいました。


本題に戻り、話を進めたいと思います。
私は神様はいないと思います、
ただし必要な存在なのは強く感じています。

歌の文句で〝人は弱い〟〝人は儚い〟なんて
よく耳にしますが、果たしてどうでしょう?
他の生物より賢くなった為に
肉体的にも精神的にも
確かに弱くなりました。
便利になって肉体は退化し
知ることによって精神は必要以上に
ストレスを感じるはめに。

しかし、その度に
想像力という大きな力を発揮し
神という存在まで作り上げてきました。

この存在に頼ることを愚かという人もいます、
しかし
神は存在しなくても、人々を救っている
わたしはそう思えてなりません。
人にとって、必要な存在だからこそ
なんでも科学で解決できる現在でも
大切にされているのではないでしょうか?

教えに目を向ける

私がお勧めしたいのは、
神様という存在ではなく
その背景にある教えを信じることです。

どの宗教の中にも、とても素敵な言葉や
考え方が存在します。
困った時の神頼み
ではなく
困った時は神様の言葉を
参考にさせてもらいましょう。
その言葉は、過去から現在までの
多くの想いが詰まっているはず
困っている私たちを導いてくれるでしょう。
神様を頼るにではなく、心の鏡として
自分自身と向き合うために
活用してみてはいかはでしょうか?



2015年11月28日土曜日

鬱との関わり方・追いだし治す?共に歩む?





鬱に対する印象とは

鬱が病気と認識されるようになり、
悩まされていた人にとって
昔に比べ、理解のある社会に
なったのではないでしょうか。

そして今、鬱に対し
皆さんはどういった印象を抱くのでしょう。


私の場合

これより先は、長い事向き合った
私独自の見解です。
医師でもカウンセラーでもない私ですので、
思い込みやすい方は注意してお読みください。

鬱が病気として認められ、
たくさんの方が救われたと思います。
ただ一方では、鬱=病気とくくってしまい
むしろ深く悩む事になった人も
少なからずいるのでは?
ちなみに私は、そんなひとりです。

鬱というのがあまりに漠然としているので、
少しでも具体的に捉えるために
〝トゲトゲで黒くてタチが悪い
ウイルスみたいな存在〟
なんてわかりやすく義体化させていました。
でも今は、それはまったくの間違いで
逆効果であったと感じています。

では、その理由からお話します。

まず鬱とはなんぞや…
そんな事、深く考えたことありますか?
意外と無いのではないですか?
何せ当事者にとっては
苦しむ元凶でもありますから
むしろ知りたくないというのが
普通の心理だと思います。
すると手っ取り早いのが
〝病気〟という括り、
鬱病と病名になってしまったがために
深く追求する機会が損なわれているように
私は思えてならないのです。

私が今に至る(少し余裕が持てている)
その理由、鬱に対しての
向き合い方が変わったというのが
大きいように感じています。

どう変わったか。
やはり毎月の通院という
手間をかけている以上は、病気という
認識が強かったです。

過去に4年間ほど
ある上司の下で働きました。
その方はお世辞にも
仕事が出来る方ではありませんでした。
厳密には、かなりのスキルを持っている
ただモノグサだったという事なのですが…

しかし、この方は
人の心を汲み取る技術に関しては
尊敬すべきところでした。
技術と言いましたが、そもそも
そういう性格みたいで
気持ちが伝わってこない人に対しては
ガンガン世間話を突っ込んでくる
そんな人でした。

その下で働くにつれ、
まず自信がつき
自発性がつき
相手の気持ちに目がいくようになりました。

仕事柄、5回ほど上司が変わりましたが
『オレはこんな人になりたい!』と
強く思ったのはこの人だけです。

そんなモチベーションで
何年も過ごしたためか、
『もう鬱ではないのかな』なんて
昔ではありえない穏やかな気持ちが
生まれはじめました。
もちろん、波のように月1程度に訪れる
ひどい症状は未だあります。

そして、鬱に目を向けた時
『あぁ、鬱は〝ウイルス〟じゃなくて
誰の中にも住んでる〝弱虫〟だったんだ』
そんな事に気付きました。

わかりやすくお話しすると
そもそも鬱は誰の中にもいます。

不安な気持ちを食べ過ぎ
大きくなってしまったか

餌がなくて見えないくらい
小さくなってしまったか

その違いだと思います。
投薬治療とは、
この虫を眠らせているような状態。
だから薬がなくなれば
お腹を空かせがっついて不安を食べ
結果ひどい症状を
引き起こしてしまうんでしょう。


私の見解

鬱は治せない、そもそも自分の一部分だから。
ただし、上手な付き合い方がある。
その方法を知る事が治療であり、
投薬治療はその時間稼ぎ。
そもそも、薬で落ち着いている間に
自分なりにアクションを起こさない限りは
依存症を覚悟して薬を飲んだ意味が
なくなってしまいます。
そのアクションとは
外的な刺激でも内的な刺激でも構いません。
私の起こしたアクションについては
別記事に記載することとして
はじめは『習い事に参加』など
自分から関わらなくても、
人と関わらざる負えない状態に身を置く。
これは勇気がいりますが、
一番効果が大きいと思っています。





2015年11月25日水曜日

前を向いて歩く。について考えてみた




歩む道とは、人生とは

よく、『前を向いて歩きなさい』と
呪文のように周りから聞こえます。
憶測ですが、きっと人生をに例え
前に広がる景色を未来と捉える表現は
はるかに昔から使われていたのでしょう。

そうなると、後ろの景色は過去
足元は現在となるのでしょう。
この表現方法は、人生をストレートに
表現できてとてもわかりやすいですね!

先ほどは未来を見据える言葉を
紹介しましたが、中には
『不安になったら振り返りなさい』
と、今まで歩いた道を確認する
過去を振り返る言葉や
『足元には花が咲いているよ』と
忙しさの中で、現在の素敵な物事
見失なわないことに対する言葉もあります。

こうなってくると
『結局は何が正しいのだろう…』
と言葉の真意が伝わり辛いです。

私は、こうした言葉の共通点から
本当に大切なことを考えてみました。

その共通点は、〝道を認識している〟ということ。
見る場所は違えど
人生を見据えているんです。

では鬱状態をこの例えに
当てはめてみます、
『道の上で、目を閉じたたずむ』
どうでしょうか?ちなみに
私の鬱にはとてもしっくりきました。

鬱とは、目を閉じてしまった状態。
だとするとまずすべき事は
目を開けること、
未来でも過去でも現在でも良い
自分が生きていて人生の上に立っている
その事を強く認識する必要があると
私は思います。



心の休憩所、記事の合間に絵空事




心の落とし穴

ふとした瞬間、例えば
忙しい日々を送っていても
そんな慌しい時間にぽっかりと
隙間ができたような感覚
みなさんも経験ありませんか?
時間が止まったような、とても心地良い
そんな不思議なひと時。

私はそれを
〝心の落とし穴〟と呼んでいます。
きっと、私自身が無意識に
身の危険を感じ
そういった時間をくれるのだと
そう解釈しています。

そして、そんな時間の狭間にいるときは
心がフワフワとして
普段ではかんがえないような事を
思いつくのです。
素朴な疑問から、壮大な難問まで。
そして、そういう時には
とても素直にその答えを、自分なりに
すっと考え出すのです。

その内容が、読んでくださっている
皆さんに有益かはわかりません。
ただ、一緒にその問いに向き合ってみるのも
気持ちがほぐれる材料にならないかと
そう思い、大きな記事の間に
〝私の絵空事〟というカテゴリーで
綴ってみたいと思います。
息抜きだと思って、暇つぶしに
読んでみてください♪
(〝心の落とし穴〟が現れるのは
不定期ですので、気長にお待ちください)

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