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2016年1月26日火曜日

アドラー心理学による、鬱へのアプローチ






アドラー心理学について、前回の記事で
ざっと紹介しました。
今回は、具体的な内容
カウンセリングで使用されている
アドラー心理学を具体的に見ていきましょう。


人とのつながりを重視した治療

前記事で、ざっと書かせていただいた通り
この心理学でのキーワードは人間関係です。
アドラー心理学では他人との間に生まれる
関係性について共同体感覚というものを
重視していきます。

自分の利益のためだけに
課題を押しつけるような人は、そのうち
人間社会からはじかれてしまいます。
他人との協力は、目先だけでなく
その先にある結果を想像し予想する能力が
とても大切になってきます。


共同体感覚とは

わかりやすく言いかえるのであれば
人が集まり団結し、そこに
幸福を感じることでしょうか。

アドラー心理学では、
他者を信頼する
自分は貢献できる
仲間の一部である
という集団での生活をより良くすることが
困難から解放される方法としています。
そして、この感覚が研ぎ澄まされていくと
より大きな共同体へ目を向ける事が
できるようになっていくのです。


勇気づけとは?

アドラー心理学における、
鬱病へのアプローチとして大きく関わるのが
勇気づけです。
これには2種類の場合があり
自分への勇気づけ、相手への勇気づけです。

自分への勇気づけ
ありのままの自分を受け入れる勇気
と言い換えられるかもしれません。
誰しも欠点はあり、それを一番
よく知っているのが自分自身です。
しかしそれは個性で、持ち味でもあります。
自分がそういうものなのだと受け入れる勇気が
自分を励ます行為に繋がります。

相手への勇気づけ
主観でなく、相手を尊重する姿勢にあります。
アドラー心理学によるカウンセリングでは
勇気づけが鬱状態の緩和を促します。
これには色々と説明がなされていますが
つまるところ相手の気持ちになって話を聞く
につきるのではないでしょうか。
また相手への勇気づけは、自分にとっても
プラスに作用します。
共同体感覚が養われ、自分への信頼感や
幸福感を得ることができます。

これらは表面上でできる行為ではありません。
自分や相手を、しっかり見据えることで
それが強みになっていくのです。
自分や他人を怖がらず、
積極的に関わってみましょう。
もちろん共感できる人ばかりではありません、
先ほど書いた通り
自己の利益のため動いている人もいます。
しかし共同体でいえば些細な事、
そういった一部の人間に囚われず
自分にはもっと多くの仲間がいる事に
目を向けてみてはいかがでしょうか?



2016年1月25日月曜日

アドラー心理学で、鬱を解き明かすとこうなる







アドラー心理学と

アルフレッド・アドラーの考える
心理の在り方です。

そもそも心理学を理解する事は難しい。
会った事もない誰かに
『あなたの気持ちは合理的でないね』
『どんな人もこの理論に当てはまっているんだ』
と言われても、理解できないのと同じだと
私は思います。
しかし、心理を解き明かそうと本気になった人の話
と、きちんとした納得があると
自分の心を気にかける暇もない現代人にとっては
ありがたい学問ではありますね。

私が知る限りアドラー心理学では、心の動きを
今いるマイナスの状態からプラスに変化させる動き
としているみたいです。
そしてそれはすべて思い込み、
実際には今の状態を
どうしてもマイナスと捉える傾向にあるそうです。

それと、アドラー心理学では
個人がもっとも小さな単位であり
心と体という個人より細かい概念を持ちません。
心と体、意識と無意識、感情と思考は矛盾しない
とされています。
『なんのこっちゃ?』と思われるかもしれませんね。
私の考えるところ
1人の心の在り方ではなく
1人の人間社会での在り方であり
人の内側を考えたものではなく
人の外側を考慮した内容に特化している
ということでしょうか。

知識の乏しい私なりにアドラー心理学を
簡単に読み解いてみました。
興味が出た方は、詳しく学んでみてくださいね。


アドラー心理学流の鬱とは

自己啓発の元ともいわれていて、鬱病患者にっとて
わりと敷居の高い印象を受けるかもしれません。
しかし、心のケアを柱とする他の治療に比べ
他人への関わりを重視しているため
これまでの取り組みに疑問を感じている方は
試してみてもいいかもしれません。

これまでの記事で私も取り上げてまいりましたが
1人で鬱病になる事より、人間社会により
鬱病を発症する方のほうが
はるかに多いと思われます。
その根源は
自分以外に認められたい、理解してほしい
といった欲求があるからです。
アドラー心理学の中でも
承認欲求という名前で出てきます。

アドラー心理学では、こうした
人間同士の関わりによる鬱病が
指摘されています。
例えば、親子を例にあげると
わかりやすいです。

親は、子どもに希望を託します。
その関係が、お互いの望むものであれば
問題は起こりません。
しかし、親と子の意見が
一致していない場合、
親は子に対しヤキモキしてストレスをため
子は親のプレッシャーにストレスをためます。
互いに憂鬱になるこの状況は、
人と関わらないと起こらない現象です。


良い選択肢はないのか?


アドラー心理学で、大切と言われているのが
自分が今行っている事柄が
誰の課題であるのかを知ること
とあります。
人の顔を伺うあまり、なんでも引き受けていると
結果的に自分にとって大切な課題が疎かになり
他人の為に生きているような状況に陥るのです。
その相手が親などならまだしも、
会社の仲間などであったとしたら
負担ばかり背負い、美味しい思いをするのは
他人ということになります。
これは悲しい、その事実に気が付けば
きっと酷く憂鬱になるでしょう。
もし人が信じられなくなったりでもしたら
鬱病へまっしぐらです。

そういった事からも、その課題がいったい
誰のものなのかが
とても重要になってくるのです。


嫌われる勇気とは

アドラー心理学は、
勇気の心理学とも言われます。
また、アドラー心理学の考え方を
鬱病にあてはめると危険
という声も多く聞かれます。
その理由が、
誰の為に生きるか
迫られるところにあります。
先ほど課題の話をしました、しかし
自分らしく生きようとすれば
他人の課題を断る必要が出てきます。
これにはかなりの勇気がいります、
そして嫌われる覚悟も。

嫌われてまで、リスクを負ってまで
なぜ自分らしく生きる必要があるのか?
この一点から、賛成派と反対派に
分かれるようです。
アドラー心理学では、その必要性を
他人の為に生きた場合の代償として
説いています。

自分にとって、関わる全ての人が
他人となります。
もし、自分の行動を他人に委ねる場合
全ての人からの課題を
クリアする必要が生まれます。
かなりの苦汁となりますが、それ以上に
課題が対立する内容だった場合
クリアすること自体に無理が生じます。
結局、そんなことはできず
嫌われず波風立てず生きるというのは
かなりの矛盾が生まれることになります。

また、こうもいっています。
自己中心的とは、他人に課題を課す事
そう説いています。
都合よく自分の利益を優先して、課題を
他人に押し付ける人間は
後に人間社会に適合できなくなると。
そのことを逆に考えてみましょう、
嫌われないよう奉仕していた人は
自分にとって
それほどの価値があるのか?
課題は自発的に行ってこそ
意味が生まれます、
一度きりの人生
自分のために生きたいものです。


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