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2016年6月8日水曜日

損か得かではなく、徳か得かで考える






私は常々、
『人生は不平等だ』と感じています。
運の良い、悪いは
やっぱりある。
でも、それに振り回されたくはないですよね。
そこで、
今回は私流の
納得の仕方を記事にしてみようと思います。


損か得かで動くと、損をする

誰しも、得をするかで物事を判断します。
損の可能性が高ければ
その内容によって諦めるかチャレンジします。
攻めぎわと引きぎわを見定めるのは、
とても大切な事です。

ただ、すべてをそれに当てはめると
欲に支配されがちになり、振り回されて
最終的に疲れてしまう気がするのです。
私は最近になってですが、
損という言葉に違和感を感じています。
それは、損の感じ方が人それぞれな点や
社会において、自分にとっての損得で動くと
けっきょくは損を感じる羽目になるからです。


徳か得かで動いてみる

自分にとって利益があるのか、
損の概念は大切です。
でもそれに忠実になる必要はありません。

例えば
道に1万円札が落ちています。
フワフワと飛ばされそうなそれを
無意識に拾い上げます。
さて、ここで登場するのはたいてい
天使悪魔
でも考えてみてください、
この1万円札の行方を
天使と悪魔に委ねてもいいものか。
私は、ここで神様自分を登場させます。

この1万円札、ポケットにねじ込めば
まるまる儲けになることを、
神様に説得します。
頭の中の神様を納得させれたら
1万円はまるまる自分のもの、
得をします。
もし、説得に失敗して
素直に届け出ることにしたのなら
神様に従い徳をつんだことになります。
この場合、1万円は手元から消えますが
損はしていません。
自分の中の神様は、さぞ満足でしょう、
きっと良いことをして清々しい気持ちを
プレゼントしてくれます。


まとめ

社会において、損の概念ほど
不確かなものはありません。
会社にとって、家庭にとって
何が損で何が得になるかは
わからないのです。
それならば、いっそのこと
そんな負の感情に振り回されて
ドキドキするよりも
得か徳かを選んでしまえばいいのです。
どちらを選んでも、
後ろめたく思う必要はありません。
ただし、ちゃんと自分の中の
理性という名の神様と
ちゃんと相談して下さいね。

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