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2016年6月11日土曜日

私の、鬱病の考え方(鬱病と上手く付き合う)について






これまでも、鬱病に対して
『鬱病を知り、共に歩むことが大切』
と何度もいってきました。
10数年間も鬱病との付き合いで
その考え方にいきついたんです。

今回は、私がなぜ
鬱病の目指すところが
病気と上手く付き合うことなのかを
じっくり考えていきたいと思っています。


人という生き物を理解する

進化の過程を経て、
多種多様な生物が出現しました。
それぞれに生きるルールが存在し
特に哺乳類は、そのルールが複雑です。
さらに人間の社会性は、そのルールを
もっとややこしくしてしまいました。

もはや、人間社会を完全に理解できるのは
一部の賢い人にとどまっています。
生きるルールを、
私たちはちゃんと理解できていません。
だから、実体のない社会という存在に
苦しめられる羽目になったのだと思います。


人間社会がある限り、憂鬱は尽きない

生活するうえで、人よりも重要になってくるのが
人間社会だと思うのです。
というのも、
人を避け一人で暮らすことはできても
人間の作りだしたルールに沿って
生活する必要があるからです。
お金を稼ぐというのも、大きなポイントで
稼ぐためには仕事で人と関わる必要があります。
一人で暮らすためには、
人と関わってお金を稼ぐ必要があります。

人間社会は、人と関わるように作られています。
結局のところ、
人が生きるためには
必ず人と関わる必要があるのです。
では、人との関わりが苦手
あるいは嫌いな人はどうしたらいいのでしょう。
耐えることしかできないのかもしれません。
これでは、憂鬱を通り越して病気になっても
当然だとおもいませんか? 


鬱病へのアプローチとは

鬱病になって、目標として目指すのは
いったいどこなのでしょうか?
完治でしょうか。
もちろん、患者も医師も
それぞれの思想のもと
治療を行っていると思います。
中には、完治をゴール地点に
設定している場合もあるでしょう。
それに関して、
私は否定できる立場にありません。
なぜなら、ケースによって様々で
患者も医師も人だからです。

ただ、その過程に関しては
みなが同じなはずです。
人間社会と上手に付き合うこと
まさに、これにつきます。
死ぬまで、人間社会を
上手に渡り歩く必要があるのです。
少しでも、生活が楽しくなるように。
少しでも、笑顔が増えるように。


まとめ

決して逃れることが出来ないのであれば
上手に泳いでいくほかありません。
鬱病とは、泳ぐのが
少し下手な状態なのです。
その補助となるのが、
カウンセリングや薬なのです。
『早く治してしまいたい』と考えるより
ゆっくりと、鬱病と向き合いながら
前に進めたら良いのではないでしょうか。
鬱病によって、追い込まれないでください。
決して特別なことではありません、
世間を泳ぐのが上手い人がいるように
下手な人だって存在します。
肩の力を抜いて、ゆっくりと少しずつ
進んでみましょう。

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