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2016年3月19日土曜日

キルケゴールの哲学、〝死にいたる病〟を考える





よく、哲学したために鬱になる
といったケースを耳にします。
キルケゴールの、死にいたる病
あまり深くのめり込んでしまうと
危険な気がします。
そのため、知りたい人のために
ざっくりした内容を紹介できればと思っています。


キルケゴールが死と表現したもの

セイレーン・キルケゴールは
死にいたる病において、ある事を訴えました。
それは、
自己を失った者は死んだようなもの
ということです。
つまり、この場合のとは
自己を失った状態で
はそこへ至るまでの経緯を表しているんです。


病、自己を失う状況とは?

キルケゴールは、様々な状況により
自己を失うことがあるといっています。

失恋したとします。その場合
自分が憧れる相手に、自己を否定された事になります。
その人は、自己に失望してしまうことでしょう。
もしその想いを、断ち切ることができないとすると
生涯、自己を否定し続けることになります。

逆に、物事を深く考えず過ごしていると
自己を忘れてしまう場合があります。
町並みを眺めているうちに
みんなと同じでいることで安心し
自己を忘却してしまうケースです。


幸せなのは、どっち?

自己よりも安定した生活を送り、生涯を終えるとして
その人が不幸だったとは言い切れません。
私の感想としては、
知っておく必要がある
しかし実践には慎重になるべき
ということ。

それはキルケゴールの言葉からも伺えます。
自己を失った人は、沈黙冒険を恐れる
というもの。
社会に混じっておしゃべりをしている間は
自己を思い出すことがありません。
しかし、沈黙の時間があると
自己に向き合う機会ができてしまいます。
冒険、すなわち新たな挑戦に関しても
自己以外の全てを失うことになっても
一番大切な自己を失うことはない
といっています。
この2つ、鬱病の苦しみを知っている人間にとって
かなり酷な内容です。


まとめ

死にいたる病は、その中で
多くの言葉を用いて自己の在り方を説いています。
しかし、哲学の中でも
キルケゴールの哲学は
暗く内向的であるとされています。
しかし、自己の大切さは
うなずける部分が多いです。
死にいたる病、自己を大切にという
ざっくりしたニュアンスで
心にとめておいても良いかもしれませんね。


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