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2015年11月28日土曜日

鬱との関わり方・追いだし治す?共に歩む?





鬱に対する印象とは

鬱が病気と認識されるようになり、
悩まされていた人にとって
昔に比べ、理解のある社会に
なったのではないでしょうか。

そして今、鬱に対し
皆さんはどういった印象を抱くのでしょう。


私の場合

これより先は、長い事向き合った
私独自の見解です。
医師でもカウンセラーでもない私ですので、
思い込みやすい方は注意してお読みください。

鬱が病気として認められ、
たくさんの方が救われたと思います。
ただ一方では、鬱=病気とくくってしまい
むしろ深く悩む事になった人も
少なからずいるのでは?
ちなみに私は、そんなひとりです。

鬱というのがあまりに漠然としているので、
少しでも具体的に捉えるために
〝トゲトゲで黒くてタチが悪い
ウイルスみたいな存在〟
なんてわかりやすく義体化させていました。
でも今は、それはまったくの間違いで
逆効果であったと感じています。

では、その理由からお話します。

まず鬱とはなんぞや…
そんな事、深く考えたことありますか?
意外と無いのではないですか?
何せ当事者にとっては
苦しむ元凶でもありますから
むしろ知りたくないというのが
普通の心理だと思います。
すると手っ取り早いのが
〝病気〟という括り、
鬱病と病名になってしまったがために
深く追求する機会が損なわれているように
私は思えてならないのです。

私が今に至る(少し余裕が持てている)
その理由、鬱に対しての
向き合い方が変わったというのが
大きいように感じています。

どう変わったか。
やはり毎月の通院という
手間をかけている以上は、病気という
認識が強かったです。

過去に4年間ほど
ある上司の下で働きました。
その方はお世辞にも
仕事が出来る方ではありませんでした。
厳密には、かなりのスキルを持っている
ただモノグサだったという事なのですが…

しかし、この方は
人の心を汲み取る技術に関しては
尊敬すべきところでした。
技術と言いましたが、そもそも
そういう性格みたいで
気持ちが伝わってこない人に対しては
ガンガン世間話を突っ込んでくる
そんな人でした。

その下で働くにつれ、
まず自信がつき
自発性がつき
相手の気持ちに目がいくようになりました。

仕事柄、5回ほど上司が変わりましたが
『オレはこんな人になりたい!』と
強く思ったのはこの人だけです。

そんなモチベーションで
何年も過ごしたためか、
『もう鬱ではないのかな』なんて
昔ではありえない穏やかな気持ちが
生まれはじめました。
もちろん、波のように月1程度に訪れる
ひどい症状は未だあります。

そして、鬱に目を向けた時
『あぁ、鬱は〝ウイルス〟じゃなくて
誰の中にも住んでる〝弱虫〟だったんだ』
そんな事に気付きました。

わかりやすくお話しすると
そもそも鬱は誰の中にもいます。

不安な気持ちを食べ過ぎ
大きくなってしまったか

餌がなくて見えないくらい
小さくなってしまったか

その違いだと思います。
投薬治療とは、
この虫を眠らせているような状態。
だから薬がなくなれば
お腹を空かせがっついて不安を食べ
結果ひどい症状を
引き起こしてしまうんでしょう。


私の見解

鬱は治せない、そもそも自分の一部分だから。
ただし、上手な付き合い方がある。
その方法を知る事が治療であり、
投薬治療はその時間稼ぎ。
そもそも、薬で落ち着いている間に
自分なりにアクションを起こさない限りは
依存症を覚悟して薬を飲んだ意味が
なくなってしまいます。
そのアクションとは
外的な刺激でも内的な刺激でも構いません。
私の起こしたアクションについては
別記事に記載することとして
はじめは『習い事に参加』など
自分から関わらなくても、
人と関わらざる負えない状態に身を置く。
これは勇気がいりますが、
一番効果が大きいと思っています。





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